●出身地:熊本県出身、神奈川県育ち
●出身大学:明治学院大学 文学部 フランス文学科
●部活・スポーツ:新体操・野球・フラダンス・空手
●趣味:フランス料理を食べること・ゴルフ・野球観戦・旅行・ショッピング
●好きな言葉:計画のない目標は、ただの願い事にすぎない。(引用:フランスの小説家 サン=テグジュペリ)
大学生活では勉学のほかにボランティア活動にも力を入れていました。私が参加していたのはフラダンス教室での活動で、生徒数を増やすことを目標とし、一度体験に来てもらった人に「また来たい」と思ってもらえるような雰囲気作りを意識しました。
特にお子様は不安な気持ちで体験に来られる子が多かったので、すでに教室に在籍している子とのつながりを作ることを心がけて、その子にとっての心地よい居場所を提供することを重要視しました。
また体験に参加するハードルを下げるために、フラダンスに必要な道具はすべて無料で貸し出したりもしました。
その結果、私が最初にボランティアに参加したときは生徒数は5人だったのですが、私が生徒の募集にたずさわってからの2年間で生徒数100人を突破することができました。
この経験から、お客様に「行きやすい、また行きたい」と思っていただける接客力を手に入れられたと思っています。
球場のインフォメーションセンターと薬局のアルバイトをしていました。
球場のアルバイトは、小学生のころから神奈川で育ったこともあって横浜DeNAベイスターズが大好きだったので選びました。
球場のインフォメーションセンターには不満をもったお客様が来られることが多かったため、丁寧で落ち着いた対応を心がけ、説明に説得力を持たせることを意識しました。
その結果、球場のスタッフの中で私の接客が一番の高評価をいただくことができ、接客内容を臨機応変に工夫することの面白さを感じました。
また薬局のアルバイトでは「この商品を売ったらインセンティブがつく」といった制度があり、負けず嫌いだった私は「だれよりもインセンティブを稼いでやろう」とやる気になれました。頑張りに応じてもらえる金額が増えるというアルバイトは初めてだったのですが、自然と集中して仕事に取り組めるのを感じ、「私には実力次第で稼げるような仕事が向いているのかも」と思い始めました。
そこで私は海外関連の仕事を目標にしつつ、並行してほかの業界や企業も試しに見てみようと考え、エージェントを頼ってみることにしました。薬局でのアルバイトでやる気になれたことを思い出し、エージェントには実力主義で頑張った分だけ稼げる企業を探してもらうことにしました。
エージェントに私の経歴を話したところ「原さんは営業に向いている」とアドバイスをもらって、稼げる営業に絞って紹介してもらったときに目についたのがいーふらんが運営する買取専門店「おたからや」の買取営業でした。「営業というよりは接客に近い」というエージェントからの説明を聞いて「いろんな接客を経験してきた私に向いているかも」と思えて選考に参加してみることにしました。
ただ正直なところ、その時点ではやはり私はまだグローバルに活躍したいという思いが強く、いーふらんは面接の練習程度にしか考えていませんでした。
いーふらんに本当に就職したいと考える決め手になったのは最終面接の後でした。
最終面接を担当してくださったのはいーふらんのアメリカでの事業を担う「E-fran US Inc.」の現社長である林さんだったのですが、なんと林さんは最終面接後、別日に私をみなとみらいの本社に招待してくださって、わざわざ社内紹介をしてくださいました。きっと私がいーふらんへの入社を迷っているのを察して呼んでくださったのだと思うのですが、「社長クラスの人が、たくさんいる就活生の中の一人である私にここまでしてくれるのか」とすごく感銘を受けて、この人と働きたいと思えました。
また、おたからやの海外進出の話も聞かせていただいたのですが、私にとってすごく興味深いお話でした。買取営業が関連するリユース業界は約3兆円の規模にまで拡大しており、さらには不況にも強い業界なので、「将来性があって海外に関連する仕事がやっとみつかった」と視界が開けた気持ちでした。
ほかには給料やワークライフバランスなどの条件も、いーふらんは全て抜群だったんです。年齢に関係なく実力次第で稼げるという実績が多数ありましたし、そのうえ残業が禁止というのも魅力的でした。しかも本社勤務になれば、みなとみらいで働けるので、仕事終わりにそのまま大好きなベイスターズの試合を見に行けるのも私にとってうれしいポイントでした(笑)。どの条件を見てみてもいーふらんには非の打ちどころないことが分かったので、納得していーふらんへの入社を決めることができました。
早期キャリアでは、具体的には行動力を意識しました。私は神奈川県の相模原市で育ったのですが、店舗での研修にたくさん入れるように、よりおたからやの店舗が多い東京都に引っ越すなど、「やったほうがいいかも」と思ったことはすぐに行動に移すことを意識しました。
また少し接客に慣れてきても、会社のマニュアルを忠実に守って接客し続けることも心がけました。
その結果、早期キャリア内では常に優秀な成績を修めることができ、それを会社から評価してもらえて、入社と同時におたからやパークシティ武蔵小山ザモール店の店長に任命していただけました。
もちろんうれしかったのですが、十分な結果を残してきた自信はありましたし、なにより自分に課した目標を達成したことで「おたからやの買取営業の仕事をこれからも続けられる」という安心感の方が大きかったですね(笑)。
やっぱり扱う数字の責任というところは当然大きくなるのですが、その分自分でやれることや挑戦できることの範囲も広がりました。一番大きな変化は、私が常に同じ店舗に入ることで、リピートしてくれるお客様が増えたことです。
フラダンスのボランティアで培った「居心地の良い場所を提供する接客」を意識することで、何度も店舗に通ってくださるお客様が増えました。「品物はすべて原さんに査定してもらいたい」と言ってくださるお客様も多く、そのような言葉をいただいたときが一番うれしいです。
また、集客に関してもできることが増えました。例えば、私の担当している武蔵小山の店舗の周辺で、人通りが多い場所を自分で探しに行ってその付近に広告を出すことをお願いしたりもしています。
まだ新卒の私が1つの店舗を任され、裁量を持って取り組めることに今まで以上のやりがいを感じています。
まずは毎月、自分の店舗の売り上げ目標を達成し続け、3か月以内にさらに大きな売上の見込める主要な店舗の店長になりたいです。今よりもさらにやれることが増えると考えるとわくわくしています。
その後の目標は1年以内に、スタッフを育成する役職であるエリアマネージャーになることです。
男性と女性の接客方法というのは根本的に違うのではないかと以前から考えていて、例えば男性のエリアマネージャーでは女性の接客を完全に理解できるわけではないと思うんです。女性のエリアマネージャーは今は1名しかいないのですが、女性スタッフの接客の強みを100%引き出せるアドバイスができるのはやっぱり同じ女性のエリアマネージャーだと思うので、私がエリアマネージャーになって、特に店舗で頑張っている女性スタッフがもっと活躍できるように引っ張っていける存在になりたいと考えています。
女性エリアマネージャーとしての実績を残した後は、私がいーふらんへの入社を後押ししてくれた林社長のように、おたからやの海外進出を一任されるいーふらん海外支社の社長になりたいです。
世界を股にかける活躍をしたいという気持ちは今でももちろん強いままで、私の言語能力と行動力を活かして海外事業をスピーディーに進めることで会社に貢献したいと考えています。面接の時、大勢いる就活生の中の一人である私のことを大切にしてくれたこの会社に恩返ししたいという気持ちが私の原動力になっています。
今就活をしている学生の皆さんの中には、「夢があるけどその職業だけを見ていていいのか不安」という方や「ほかの職種も見てみなきゃとは思っているけど、なかなか行動に移せない」という方もたくさんいらっしゃると思います。
私も海外関連の仕事だけを目指していていいのか不安でしたし、ほかの企業の説明会に行ったとしても「ここで働きたいと思えるような企業がみつかるのか?」という心配もありました。そんな方にこそ、まずは軽い気持ちでもいいのでいーふらんの説明会に参加してみてほしいです。実際私の中でいーふらんが急に本命の企業になったように、説明会に参加していただくだけで皆さんの将来の道が一気に開けると思います。
しかもいーふらんは稼げるだけでなく、とにかく人材を大切にしてくれる会社です。他の企業は「会社が就活生を選ぶ」という姿勢が基本だと思いますが、いーふらんは内定前の就活生が納得したうえで入社してくれることを第一に考えている企業です。
「日本一人材を大切にする企業」を目標に掲げるいーふらんの説明会へ、ぜひ一度参加してみてください。
リテール営業本部 第一営業部
エリアマネージャー
加藤 陸
リテール営業本部 第一営業部
エリアマネージャー
東郷 凛久
リテール営業本部 第一営業部
蒲田西口本店 店長
松本 まい
リテール営業本部 第一営業部
花小金井北口駅前店 店長
石橋 充稀
私には幼いころから、外国語を使える仕事に就きたいという目標があり、大学生活ではフランス語を学びました。出身が熊本県だったこともあって幼少期から飛行機に乗ることが多く、そこで「キャビンアテンダントのように世界を股にかける仕事がしてみたい」と思ったのが、外国語を使える仕事を目指したきっかけです。
様々な言語の中からフランス語を選んだのは、ブランド品に興味があったからです。フランスには有名ブランドが多いので、「フランス語を学んで好きなブランド品の名前の意味が分かるようになったらおもしろいだろうな」と考えて選びました。